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涅槃の道場 七十三番札所 我拝師山 出釈迦寺

2014年11月09日 22:09

                       (Please click this photograph)
                     8947-1.jpg

                     幼き真魚の前に釈迦が姿を現したと伝わる寺
 久しぶりにブログを記す。
 ここのところ公私共に多忙を極めており、なかなかブログを更新できずにいる。。。
 しかし、この四国八十八ヶ所の遍路旅に関しては、完結せねばと思っている。 自身にとって貴重な経験であったという思いを記録に残すという意味と、再びお遍路として四国に向かうときのための参考としたいがためだ。
 初めての遍路旅から、すでに1年が経過している。 
 あの頃・・・自身の心中に迷いが生じており、日々の生活のモチベーションを保つのが難しくなっていた。 ともすれば、目標を見失いがちな日が続いていた。。。
 そんな時、思い切って時間を作って出かけた遍路旅・・・とにかく結願をするという大目標のために、次の札所を打つことを小目標として先に進む・・・。 その実にシンプルながら、迷うこととのない確固たる目標を持って行動できる日々が・・・素直に楽しくも心地良くもあった。
 あの頃の自身の情況と心情にあって、遍路旅にでるという選択は実に的を得た選択だった・・・本当にそう思う。


8947-2.jpg


 さて、この寺は、さすがに弘法大師空海の故郷だということで、弘法大師がまだ真魚と呼ばれていた幼き日の言い伝えが伝わる寺だ。 その言い伝えは・・・幼き日の弘法大師が、この寺で ‘何か’ を感じ ‘何か’ を心に刻んだに違いないと思わせるものだ。


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涅槃の道場 七十三番札所 我拝師山 出釈迦寺( 香川県善通寺市吉原町1091番地)

宗派 真言宗御室派
本尊 釈迦如来
開基 (伝)空海(弘法大師)
アクセス  問題なし

 寺伝によれば、弘法大師がまだ真魚と呼ばれていた7歳の時に倭斬濃山に登り、「仏門に入って多く人と衆生を救いたいのです。私の願いが叶うなら釈迦如来様、お姿を現して下さい。もし、願いが叶わないのなら私の命を仏に供養します」と願い、山の断崖から谷へと身を投げた。 すると、落下する空海の前に釈迦如来と天女が現れて抱きとめ、「一生成仏」と宣し、彼の願いが成就された。感激した空海は、釈迦如来が現われた山を「我拝師山」名づけ、その山に出釈迦寺を建立し、釈迦如来の尊像を刻んで本尊としたという。
 約300年前までは山頂が札所になっていたが、大正9年に麓の現在地に移された。 


         8947-4.jpg


 山門を進み右に折れると左に納経所があり、正面に本堂、その右側が大師堂と並置されている。 本堂の左の石段を上がると赤い壁の地蔵堂があり、その先に奥之院遥拝所と大きな石の台座に虚空蔵菩薩石像があり、眼前に奥の院のある我拝師山がそびえる。


         8947-5.jpg


 その奥の院奥之院遥拝所に真魚像も安置されている。 真魚が崖から身を投げたかどうかという真偽はともかくとして・・・幼き日の弘法大師がこの地で志を持つに至る出来事が」あるいはあったやもしれない。 それは、釈迦如来の存在を身近に感じる経験だったのかも・・・しれない。。。


         8947-6.jpg


 真魚と呼ばれた弘法大師が、この地から眼下に広がる街並みを、その先の海を眺めてから1200以上の時が流れている。 その頃とはすっかり姿を変えた光景を・・・弘法大師はどんな思いで見つめるのか・・・。
 そんなことも思いながら、次の札所へと向かった。(出釈迦寺から七十四番札所まで、車道3.3km)


         8947-7.jpg


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